馬耳Tong Poo


女に媚びる男は家畜だ。
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「宮本武蔵」読了。

 と言っても吉川英治ではなく、司馬遼太郎版。

(余談だが高校の時、吉川版「武蔵」で読書感想文、というよりはエッセイ風のものを書いて出して、最終選考まで残ったものの校内の賞は取れなかったが「面白いからついでに市内のコンクールに出してみよう」と言われ、原稿に若干手直しをしたものを提出した記憶がある。その後どーなったかは不明。)

 司馬版「武蔵」は二作品ある。




 「宮本武蔵」(朝日文庫)「真説宮本武蔵」(講談社文庫)。2冊とも読んでみた。
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 吉川版の〝剣の道一直線〟求道者武蔵を念頭に置いて読むとしっぺ返しを喰らう作品。とにかく武蔵がアザといんである。剣の腕以上に「軍略」に長けていて、例えば吉岡家に挑戦状を送るにあたって同じ内容のものを京の三条大橋で高札にかかげ世間に晒し、「返事はこの高札に書くべし」。吉岡家としてはこれを拒否すれば天下の笑い者である。
奸智といえば奸智だが、この才能を武略であるとすれば兵法者に惜しいほどの智謀である。(「宮本武蔵」)
 加えて異常なまでの出世欲。あちこちの大名から仕官の誘いがあったが「徳川家の直参で、三千石以上の石高でなければ仕官はしない」。それも「武芸者としてではなく軍学者として」。アンタ何様じゃ。

 だがついに〝猟官運動〟は実らず62歳でその生を終える。

 欲を言えばその馬鹿っ高い自尊心や貪婪なまでの出世欲がどこから来るのかとか、そのあたりをもう少し追求して欲しかった。

 あとは「武蔵伝」と「吉岡伝」との記述の食い違いや、武蔵と佐々木小次郎の剣技の系統の違いを述べたくだりが分かり易く興味深い。
「吉岡伝」では清十郎という名前はどこにもない。もっとも一説では、京の吉岡家は、本家と分家とで二軒あった。本家をサキの吉岡といい、分家をアトの吉岡家といった。

とすれば、武蔵は本家の憲法を討ったあと、分家の清十郎以下を討ち殺したのだろうか、それとも、武蔵・吉岡の双方が、兵法家仲間の常套で、虚実とりまぜて宣伝しあったものか。
(「真説宮本武蔵」)
 そう言えば「バガボンド」でちょうど〝蓮台野の決闘〟やってたな~。
武蔵側にのこる伝説には、うそがある。たとえば、吉岡一門と武蔵との決闘の場所は洛北一乗寺村の下り松だったという。この場所のうそは、神道流鹿島林斎との仕合いが今宮下り松だったことから混同されたものだ。

それに、武蔵の養子宮本伊織が小倉延命寺に建てた武蔵の頌徳碑では、吉岡家は対武蔵との決闘で一門のおもだつ者が斃されたことになっているが、憲法直綱も又市郎も
(作中、武蔵の挑戦を受けるのはこの兄弟)、その後にいたるまで壮健に生きている。
(「真説宮本武蔵」所収・「京の剣客」)

小次郎の兵法の基礎は、前記の中条流である。中条流では兵法の極意を「太刀ゆきの速さ」としている。

武蔵の兵法思想では太刀ゆきの速さなどはそれほどに重視しない。武蔵の兵法は、燕斬りでいえば素早く燕を斬るという反射運動よりも、むしろ燕への凝視に終始する。
(中略)

この点、兵法思想からみれば武蔵と小次郎は対立する両極であり、武蔵が、(その男に勝てるかもしれない)と最初におもったのは、この話をきいてからであった。(「宮本武蔵」)

(柳生)兵庫助はいう。

「なるほど武蔵は日本一の強さでございましょう」。

しかしかれの兵法は、技術体系というより多分に哲学である。かれは勝負をすればなるほど強い。その理由はかれの技術体系の卓抜さにあるのではなく、かれがかれ自身のからだにそなわった固有の精気を用いるからである。
(中略)

だから、武蔵の兵法というのはひとに教授できないものである。さらに兵庫助のいうところでは、武蔵が兵法を哲学として説きたがるのは、かれの技術が技術として説ききれぬものがあるからである、という。(中略)

兵庫助の武蔵論は、おそらく武蔵の本質をその背後まで突きとおしたものであろう。武蔵の兵法のその後の運命をまで予言する結果になった。

武蔵の兵法は、かれの死後、二刀流、円明流、武蔵流などといわれてこの尾張名古屋や豊前小倉、肥後熊本などに残ったが、ほどなく絶えた。
(中略)

武蔵の兵法体系には欠陥があったとしか思えず、その欠陥は武蔵存生当時、かれ自身がその〝固有の気〟で埋めていたとしかおもえない。(「宮本武蔵」)
 ↓は作中の叙述、

・幼年のころ頭に腫物を病んだために月代を剃らなかった。
・両眼は巨大で三角をなし、眉は尖(さき)がはねあがり、鼻梁は高く、
・身のタケ五尺七八寸、ホオ骨高くヒゲはなく、朝鮮、蒙古型の特徴である。

に従って描いてみた「宮本武蔵」。
c0017651_21761.jpg
   ↓気が向いたらどぞ。
  
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by tokkey_0524zet | 2005-07-21 02:02 | 読書 | Trackback(4) | Comments(8)
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Tracked from 莢激cŸ・€茯㏍‚“.. at 2005-07-22 09:40
タイトル : ・Ÿ・・・蚊Ÿ・™・‰・・‚Š・障・Œ鐚・€..
・—・…鐚š ・雁”・・・・・・ ・帥‚ゃƒˆ・・・ 羆咲—˜・…絎・œ・⑥・泣€ˆ筝Š・‰ ・・・・・™‚篁e・茯・・Š・‘・‹・€紊с・ƒ’・若ƒ㏍ƒ若€・・‚・›・・‚’・Ÿ・水‡冴—・Ÿ・雁”育Œ・・・・・€・顔Œ・‰ˆ罩・”汲€・・€筝€・・・・絽ƒ・—・・„・‹絎・œ・⑥・泣・‚ゃƒ<ƒ若‚吾‚’・泣‚Š筝Š・’・Ÿ・・‰綏・„羃祉・⑥・球ƒ・・・€・・・違・‚‹・‚ ? 篋堺・羲・”祉€・ƒ・・ƒ... more
Tracked from QLD 4000 at 2005-07-23 09:24
タイトル : 司馬遼太郎 の「宮本武蔵」 i/o 吉川英治
吉川英治の「宮本武蔵」の方が有名です、が、司馬遼太郎の「宮本武蔵」をよみました。 本棚にあったので手にしてみた...のが読書の動機。 本来私の武蔵像はバガボンドの武蔵です{/face_ase2/} Gooのブログで武蔵を検索したらかなりの数がありました。 戦艦「武蔵」だったりいろいろするわけですが、武蔵の残した影響力というものは現代でも多々あるようです。 さて、内容にふれますと................どちらかというと物語というより史実を検証していくという感じの本です。 有名な対決(吉岡家、...... more
Tracked from 疲れてるけど評論しちゃい.. at 2005-10-24 22:16
タイトル : 孫子と宮本武蔵
またまたソレント港へ行って来ました。 昨日は日曜日だったので、うちの近所では、ソレント港くらいしか、 ゆっくりとくつろげるカフェが無いのも事実です。 そうそう、そう言えば、そのソレント港の中の本屋さんで、興味深い 本を見つけました。 「宮本武蔵の五輪書」(左)... more
Tracked from 司馬遼太郎を読む at 2008-05-26 09:41
タイトル : 宮本武蔵
読み:みやもとむさし ジャンル:歴史小説(伝記形式) 時代:戦国 巻数:1 内容...... more
Commented by urethritis at 2005-07-24 21:44
<幼年のころ頭に腫物を病んだ

あたしと同じだ。なんか親近感を持ったりなんかして...w
Commented by tokkey_0524zet at 2005-07-24 21:53
その上武蔵は風呂に入るのが嫌いで「手ぬぐいを絞って体をぬぐうだけだった」んだそうです。おそらく生涯風呂に入らなかったろうと言われてます。
(これも相手を近付けない為の〝武略〟か?!)
Commented by ぱんだ at 2005-07-26 23:00 x
ども~、ほんとお久しぶりです~!
なんか、とっても嬉しいです。
懐かしい友に再会したような・・感じでしょうか?

「生きているだけで素晴らしい」というフレーズがありますが、嘘臭いですよね。

「なぜなら、最も大切、というのとそれだけでいい、というのとは意味が違うからだ」と中島義道氏が書いておられました。

そうですね。ただ生きているだけで、素晴らしいは、無理やり
自分でそう思い込ませているニオイがしてしまいます。
「だけ」じゃなく、「何か」が必要ですよね。
Commented by tokkey_0524zet at 2005-07-28 17:26
貴ブログの私のコメントへのお返事有難うございます。(でもここを見た人は、ちょっとワケワカメかも知れませんねw。)
Commented by 武蔵について at 2005-07-29 11:22 x
 まず、吉岡伝については、吉岡側が、二天記に対抗して創造した、作り話です。信頼できる資料ではありません。

 それに、出世欲が強い等と書いていますが、晩年になってようやく仕官できています。これはつまり、武蔵は非常に付き合いにくい人物だったからではないでしょうか。もちろん、そのときの時代背景をあわせて考えないと、いけないでしょう。

『宮本武蔵』の作者吉川英治は、『宮本武蔵』の終わりに、こう書いています。
(巌流島の決闘がおわり、武蔵が帰ってゆく)
 彦島に備えていた巌流方の一門も、彼を途中に擁して師巌流(佐々木小次郎)の弔合戦(とむらいがっせん)に及んだというはなしは遂に残っていない。
 生ける間は、人間から憎悪や愛執は除けない。
 時は経ても、感情のは波長はつぎつぎにうねってゆく。武蔵が生きている間は、なお快しとしない人々が、その折の彼の行動を批判して、すぐこういった。(中略:武蔵への批判をとばす)
――と。 
 波騒は世の常である。
 波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚はうたい雑魚は踊る。けれど、誰か知ろう、百尺下の水の心を。
 水の深さを。
Commented by tokkey_0524zet at 2005-07-30 00:51
 なるほど。でもそれぞれの作者の「武蔵観」の違いもあると思います。(柴田練三郎の描く〝武蔵〟も全然違うそうですし・・・。)

 峰隆一郎氏が『随筆・吉川武蔵と私の武蔵』で、

「吉川武蔵を実話だと思っている人が多い。それだけに有名で売れた小説とも言える。もちろん、これに文句をつける気は無い。」

「どちらが正しいかではない。どちらも嘘である。嘘を承知で小説を書いている。

ただ一つ、吉川武蔵でわからないのは、お通さんが武蔵を追って旅をするところである。女一人で旅をすれば(普通あの時代なら)2、3日で賊とか浪人に手ごめにされ、どこかに売り飛ばされていた、と私は考える。まぁ、フィクションだから仕方がないか、と諦める。

たとえフィクションでも、読者になるほどと思ってもらわなければならない。」と書いておられました。
Commented by Wasabi at 2005-09-18 23:00 x
トラックバックありがとうございます♪
たしかに武蔵は「軍略家」ですよね。 
Commented by tokkey_0524zet at 2005-09-19 18:37
 彼は少し、生まれた時代が遅かったのかも知れませんね。
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