佐賀物産展。

 仕事で行った先の駅構内で「佐賀物産展」をやっていたので帰りに覗いてみる。
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 このパンフレットは結構な人気で翌日には無くなっていた。

 高遊外売茶翁(こうゆうがいばいさおう)と枝吉神陽(えだよししんよう)は知らなかったな~(^^ゞ。
 “佐賀の千利休”、“佐賀の吉田松陰”と言われていて枝吉神陽は副島種臣の実兄だそうだけども。

  徐福は諸星大二郎氏の漫画に「徐福伝説」という短編があって知っていた。

 「佐賀12賢人判定」をやってみたら結果は“KYキャラの江藤新平”w。

 
 江藤は明治維新期の佐賀藩の中では好きな人物だけど。
 「歳月」は面白かったが後味が悪かった。

 大村益次郎もそうなのだが“頭脳明晰でありながら要領が悪くて不器用な生き方しか出来なくて、それでも尚且つ後世に鮮烈な光彩を放ち続けている人物”に惹かれる。



 アンバランスな魅力、とでも言おうか。

 二人とも非業の死を遂げているがその最期は対照的で、大村は心安い人々に看取られて病院で亡くなっているが江藤はたった6日の“殺人法廷”で発言権も与えられないまま禁じられていた斬首刑に処されている。

 類まれな異能の持ち主でありながら世渡り下手だった理由の一つは、身分の低い家に生まれたが故に“武家社会の常識、空気”というものが今イチ理解出来なかったためであろうかと。

 佐賀藩の上士の家に生まれた大隈重信には「午前は断酒会で酒の害を説き、午後には酒造組合で『酒は百薬の長』と演説をぶった」というエピソードが残されているがこういう“二枚舌”をぬけぬけと使えるぐらいの神経としたたかさがあればこそ政治家として85年の天寿を全う出来た。

 
 大隈は征韓論に敗れた江藤が佐賀に帰郷する際「今帰ったら大将にまつり上げられるから行くな」と忠告していて(結果“佐賀ノ乱の首謀者”になってしまう)、小栗上野介に関しては「明治政府の近代化政策はそっくり小栗の政策を模倣したもので、小栗の功績を抹殺したかった」とのコメントを残していて、薩長閥を押しのけて二度も内閣総理大臣を務めたただけの事はあって流石の慧眼。

 鍋島直正(閑叟)公。文化11年12月7日(1815年1月16日)~明治4年1月18日(1871年3月8日)。 
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 直正の写真(日本人が撮影した写真では二番目に古い写真なんだそうだ)。俳優の中村敦夫に似てる気がw。

 佐賀藩主。号は閑叟。渾名は「そろばん大名」「蘭癖大名」「肥前の妖怪」など。

 「四賢侯」の一人。財政、教育、軍事を中心とした藩政改革を行う。佐賀藩には“一代ごとに名君と暗君が出る”というジンクスがあるそうだが父の斉直は相当な女好きで贅沢好みで藩財政を逼迫させてしまっていたらしい^^;。

 幕末の佐賀藩は色々と面白い。大河ドラマでは薩長土出身者が主人公の作品ばかりが取り上げられるがたまには佐賀藩を描いた物があってもいいと思う(一年通して主役を張れるほどメジャーな人物がいないのかも知れないが)。
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 佐賀銘菓「丸ぼうろ」(大隈重信の大好物)と九州限定の味・サンポー食品の「焼豚ラーメン」を買って帰る。

  ↓気が向いたらどぞ。
  
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Commented by 6315x at 2014-11-25 21:12
葉隠のイメージが
はがくれの天ぷらうどんで
ぶち壊しに(>_<)
今朝の新聞に葉室麟氏のエッセイが載ってました。
寺田屋事件を取り上げていましたが
田中河内介ってご存知ですか(?_?)
Commented by tokkey_0524zet at 2014-11-26 01:15
大隈重信は自藩の「葉隠思想」が嫌いだったんですよね。
藩校の教育方針に反発して退学になっていますがそのお陰で蘭学の学校に入る事が出来て人生何が幸いするか分からないものです。
寺田屋事件で「オイごと刺せ」の有馬新七は有名ですが田中河内介はよく知りませんでした(^^ゞ。ググってみたら結構怖い都市伝説があるんですねぇ((( ;゚Д゚)))。
Commented by 6315x at 2014-11-28 01:35
明治天皇が守役だった河内介を懐かしんで
消息を尋ねたところ
反薩摩閥の高官が
「こちらにおられる大久保卿が主導して殺害されました」と暴露
その場が凍り付いたとのエピソードが
付記されていました(^_^;)
薩摩藩としては寺田屋事件の真相は
闇に葬りたかったようです(>_<)
Commented by tokkey_0524zet at 2014-11-28 02:54
「歳月」を数年ぶりに読み返してみたんですが、枝吉神陽は江藤達の啓蒙の師として最初の方に名前だけ出ていて田中河内介と小河一敏の話は終盤に出て来ました。
大久保利通が“公的な目的のためにはどんな残忍非道な事もやれる男”という事を示すエピソードとして。
江藤の首級の写真は当時ブロマイドとして発売されていたそうですが今の世の中では考えられませんね(><)「近代法治国家」が聞いて呆れます。
大久保は馬車越しに上京して来た江藤そっくりの弟(源作)を見て、江藤本人だと思って恐怖して馬車のコースをわざわざ遠回りに変えた結果紀尾井坂で暗殺されてしまったんだとか。
何かそういう“試合に負けて勝負に勝った”的なフォローでも無いと救われない生涯です。
Commented by 6315x at 2014-11-30 04:00
結局、最後まで生き残ったのは山県狂介?
世紀を跨いで長州閥がばっこしてます(^_^;)
佐賀県知事が自民党から出馬(>_<)
一票の権利を行使したいですが
入れる政党が無い…(-_-;)
Commented by tokkey_0524zet at 2014-12-01 04:52
土佐の“キョロマ大将軍”岩村精一郎(高俊)もその能力に反比例して華々しい生涯を送ってますね。

小千谷会談で河井継之助の嘆願書を一蹴して北越戦争を招いてしまった他に(山縣は何度も岩村にブチ切れ)、佐賀の乱では士族を鎮撫する為に佐賀へ向かっていた島義勇の前で佐賀人を侮辱する暴言を吐いて挑発して反乱する様仕向けたり、判断ミスから部下の山川浩の左腕を負傷させその自由を奪ってしまったり、農商務大臣だった時秘書官の原敬(盛岡藩出身)を「使えねー奴」と窓際に追いやったり。
この程度の人物でも世渡りが上手いと知事、県令を歴任して貴族院議員になったり従二位の男爵、華族様になれるんですね^^;。

江藤新平主役のドラマを見てみたい気もしますが、大久保利通が悪役になってしまい麻生太郎を始め各界の重鎮に子孫が多くいるので実現は難しそうです・・・(T_T)。
Commented by 6315x at 2014-12-01 20:57
岩村高俊は全く知りませんでした(^_^;)
与謝野鉄幹・晶子の子孫でも
器の小さい政治家が…
果たして、150年後に
ドラマの主人公として取り上げられる人物が
現在、いるのでしょうか?
Commented by tokkey_0524zet at 2014-12-01 22:26
佐賀では今でも大隈重信より江藤新平の方が人気があるんだそうです。
忠告はしたものの結局新政府側についてしまって、佐賀の乱後20年は地元に帰れなかったという話ですし。全国区では大隈の方が人気も知名度も無論上なんでしょうけど。
江藤をドラマでやるとすれば平田満がもう少し若かったらジャストフィットだったんですが^^;綾野剛でもいけそうです。

与謝野馨氏は“麻生太郎氏以上のオタク”ではないかと評価されており、70歳という年齢にも関わらず毎年数台の自作PCを組み立ててLINUXなどもインストールしてしまうとか。
囲碁もアマ7段の腕前で侮れないキャラですねw。
Commented by 6315x at 2014-12-02 21:40
福岡でも秋月の乱というのが
あったそうですが
かなりマイナー(^_^;)
ドラマで一番取り上げられているのは
広田弘毅でしょうね('_')
芸能人は輩出していますが
歴史上の人物はイマイチ(>_<)
Commented by tokkey_0524zet at 2014-12-03 04:28
大隈・江藤・副島らの後中央政界に大した人物が出ていないのは、やっぱり佐賀の役辺りがピークだったのかな~と^^;。
今でははなわの歌にされる程のド田舎ですしw。福岡は今でも有名政治家を輩出していますが。
福岡藩にも「生野の変」の平野国臣とか「蛤御門の変」の真木和泉とか小粒ながら志士と呼べる人物はいますね(「歳月」で名前だけちょこっと出てました)。
Commented by 6315x at 2014-12-03 13:23
志士と呼べるかは微妙ですが
高杉晋作ゆかりの野村望東尼は
地元では敬愛されていますね(^o^)
加藤司書の切腹から左幕派に舵をきり
とどめは偽の藩札事件(>_<)
高場乱という男装の女傑がいたそうですが
記憶が定かではなくて…(^_^;)
Commented by tokkey_0524zet at 2014-12-03 17:01
高場乱は初めて知りました。弟子の一人来島恒喜は大隈重信に爆弾投げつけて右足を吹っ飛ばしていますね^^;。
吉田松陰の妹よりこっちの方が面白そうですw。
Commented by 6315x at 2014-12-04 21:06
博多今昔的な小冊子を子供の頃に読んで
名前だけは記憶していました(^_^;)
過激な教育者だったんでしょうか(@_@)
貝原益軒とか亀井南冥といった学者は
割りと知名度あるかな('_')
Commented by tokkey_0524zet at 2014-12-05 00:42
「養生訓」の貝原益軒は知ってましたが亀井南冥は聞かない名前でした(^^ゞググったら激しい生涯を送った学者だったんですねぇ。
丸ぼうろは天和年間に佐賀の和菓子屋が長崎のポルトガル人の所へカステラの作り方を習いに行って、佐賀へ帰って来る間に派生した物なんだそうです(長崎から佐賀に来るまでに何があったw)。
材料は小麦粉・玉子・砂糖・蜂蜜でほぼ一緒ですし。片手で食べられる大きさでカステラの様なザラメ糖のしつこい甘さも無くて子供心に丸ぼうろの方が好きでした。
Commented by 6315x at 2014-12-07 07:51
金印の出自を調べた人だと
思ってました(^_^;)
旧長崎街道はシュガーロードと
呼ばれてますね('_')
昔の面影を偲べる場所も
いくつか残っていますよ(^o^)
Commented by tokkey_0524zet at 2014-12-07 22:14
長崎街道(シュガーロード)に飯塚市と北九州市も入ってますね^^飯塚高校には「製菓コース」があるそうですが卒業したらケーキ屋とか和菓子屋に就職するんでしょうか。
関東ではカステラはどこにでも売っていますが丸ぼうろには中々お目にかかれませんY(>_<、)Y。
Commented by 6315x at 2014-12-09 13:15
筑豊地方では石炭全盛時に
重労働の炭鉱作業員が
甘いお菓子を好んで求めたという背景があって
伝統的にどぎつい甘さのお菓子が
残っていますね(^_^;)
Commented by tokkey_0524zet at 2014-12-09 21:46
江戸時代に外国から出島→長崎街道を砂糖が豊富に流通してそれをふんだんに使った菓子文化が発達した為か、九州って何気に“スイーツ王国”ですね。
「チロルチョコ」の松尾製菓は本社が田川市にあるそうで。福岡にも金平糖等お菓子が沢山あって(長崎は言わずもがな)江崎グリコや森永製菓、のど飴の中原製菓の創業者は佐賀出身。南九州にもボンタン飴とかさとうきびから取れる黒砂糖を使った「げたんは」といったお菓子が多いですし。
Commented by 6315x at 2014-12-11 08:57
クロボーはご存知ですか?
黒砂糖を使ってあると思うんですが
子供の頃は妙な甘さが苦手でしたね(^_^;)
筑豊には黒ダイヤという
お菓子もあったそうです(@_@)
Commented by tokkey_0524zet at 2014-12-11 21:04
「クロボー」は名前は知りませんでしたが見覚えがあるので食べた事はあると思います。かりんとう(≠芋けんぴ)の親玉の様な食感だった記憶が。
筑後地方でもサトウキビ栽培と黒糖作りが行われていたんですねぇ。
Commented by 6315x at 2014-12-14 21:32
クロボーの方が若干ソフト感がありますね('_')
祖父母の家に遊びに行くと
「おこし」とかクロボーとか
子供受けしないものばかりで(^_^;)
今、思えば罰当たりな少年時代でした(/_;)
Commented by tokkey_0524zet at 2014-12-15 13:56
自分も「おこし」はちょっと苦手でした(^^ゞ。
おやつは「牛乳+カステラ」というパターンが多かったですね。
Commented by 6315x at 2014-12-18 16:04
祖父母の家は典型的な博多雑煮
あごだしのお汁に
鰤の切り身とかつお菜は必須(^_^;)
かつお菜は癖があって苦手(+_+)
ほうれん草に変えてくれないかなと
いつも思ってました('_')
Commented by tokkey_0524zet at 2014-12-19 00:19
「かつお菜」は知りませんでした。母方が武雄の出でしたがかつお菜の代わりに白菜や春菊を使っていた様です。
かつおだし(?)に醤油ベースで主に白菜、人参、紅白かまぼこ、椎茸、鶏肉、丸餅(焼かずに煮る)等が入っていたと記憶しております。自分で作る時もその材料。
長崎でも「長崎雑煮」に「島原雑煮」と県内で微妙に違うそうです。
by tokkey_0524zet | 2014-11-25 13:50 | 食生活 | Trackback | Comments(24)

「馬耳東風」の心構えでいれば気が楽に♪。


by tokkey_0524zet